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	<title>ひょうたんじまPJ - 口永良部島について</title>
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	<subtitle>鹿児島県屋久島の西方約12kmに位置する口永良部島について</subtitle>
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		<title>口永良部島について</title>
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		<published>2009-09-15T01:46:03Z</published>
		<updated>2009-12-17T06:50:11Z</updated>
		<summary>1. 場所 鹿児島本土の南方約60km、屋久島の北西約12kmにある周囲約50k...</summary>
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			<name>kuchierabu</name>
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				<![CDATA[<h4><span style="font-size: small;">1. 場所</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">鹿児島本土の南方約60km、屋久島の北西約12kmにある周囲約50km、面積約36km<sup>2</sup>、薩摩火山群島中最大の島です。天気の良い日には屋久島だけでなく、北には三島村（竹島・硫黄島・黒島）、南には十島村の島々を見ることができます。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">2. 交通</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">鹿児島より屋久島までフェリーで約4時間(高速船で約2時間)、屋久島より口永良部島まで町営船フェリー太陽で約1時間40分。フェリーは500t級ではありますが天候によっては揺れがひどく、特に冬場は海が時化（しけ）るため、欠航となることはめずらしくありません。なので、「太陽丸」の愛称とともに「欠航丸」と呼ぶ人もいるとか・・・</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">3. 人口</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">現在は約150人、高齢化率は約40%、小中学生も10人ほど（南海ひょうたんじま留学生含め）です。昭和25年頃には2000人近くいましたが、火山爆発や経済成長などの要因で現在に至っています。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">4. 歴史</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">歴史的には、16世紀末は種子島家支配下、17世紀初は島津藩直轄地となり、琉球・（奄美）大島方面への海路中継港でした。最近でも、沖縄や枕崎の漁師に会うと「昔は漁や鹿児島への途中で世話になった」とか言われることから、現代でも規模や頻度は変われどもその役割は変わっていない。近年では、昭和8年と41年に火山が爆発。かつては硫黄鉱業やガジュツ生産(胃薬「恵命我神散」原料)も行われており、林業では今も残っている製紙会社の社有地を中心に木材生産や漁業ではカツオ漁も盛んで、畜産業では鹿児島などから肉用として買い付けに来るほか徳之島の闘牛用に買いにくる人もいて、当時は「あの山にいる牛、全部で○○円」といった売り方をしていたそうで、牛の積み込みなども今のような立派な港もなかったため、「牛を海に落として泳がせて船に積み込んだ」そうである。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">5. 産業</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">基幹産業は運送業・畜産業・漁業・民宿などで、他には主に役場、郵便局、農協、発電所、電話・水道・道路伐採などの「公共」の仕事がほとんどです。お店はAコープ(JA)出張所と酒屋、商店などが3件あるほか、ガソリンスタンドが1件あるぐらいで、飲食店やパチンコやスナックもなく、日曜は全ての店が閉まる。また、島内に公共交通機関はなく、移動手段は自家用の車（軽トラ）とバイクがほとんど。役場の小さな出張所に職員が1人いるだけで、町の議員もいないため、国や鹿児島県だけでなく、屋久島町の情報も届きにくく、ADSLや光ファーバーなどの情報インフラも整っていないため、島民の想いや意見はなかなか外部に伝わりにくい環境にあります。そんなに不便で小さな何もない島ですが、地元の若者を中心に15名が自らのを私財を投じることで島民の協力を得て、行政や農協の助成金もなしに平成20年4月に口永良部島活性事業組合をつくりました。目的は、焼酎原料の甘藷：芋の生産を初めてとして、将来は畜産業や観光業などの島のあらゆる仕事を担うことです。組合員は「若者が働ける場所をつくりたい」「家族で移住できる家を用意したい」「行政に頼らずに自分たちでできることをやりたい」などそれぞれの想いを持って、「口永良部島に仕事をつくる」ための活動を開始しています。平成20年度は組合員のほとんどが農業の経験が少ないだけでなく、永年放置されていた耕作放棄地を利用していることなどから、当初の計画通りの収量があがりませんでした。しかしながら、平成21年度は初年度の経験を活かしてよりいっそうの強い想いのもとに取り組んでいます。彼らの熱い想いと行動力は、今までは遠巻きに見ていた島民の雰囲気を少しずつではありますが、変えつつあると考えています。</span></p>]]>
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				<![CDATA[<h4><span style="font-size: small;">1. 場所</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">鹿児島本土の南方約60km、屋久島の北西約12kmにある周囲約50km、面積約36km<sup>2</sup>、薩摩火山群島中最大の島です。天気の良い日には屋久島だけでなく、北には三島村（竹島・硫黄島・黒島）、南には十島村の島々を見ることができます。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">2. 交通</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">鹿児島より屋久島までフェリーで約4時間(高速船で約2時間)、屋久島より口永良部島まで町営船フェリー太陽で約1時間40分。フェリーは500t級ではありますが天候によっては揺れがひどく、特に冬場は海が時化（しけ）るため、欠航となることはめずらしくありません。なので、「太陽丸」の愛称とともに「欠航丸」と呼ぶ人もいるとか・・・</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">3. 人口</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">現在は約150人、高齢化率は約40%、小中学生も10人ほど（南海ひょうたんじま留学生含め）です。昭和25年頃には2000人近くいましたが、火山爆発や経済成長などの要因で現在に至っています。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">4. 歴史</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">歴史的には、16世紀末は種子島家支配下、17世紀初は島津藩直轄地となり、琉球・（奄美）大島方面への海路中継港でした。最近でも、沖縄や枕崎の漁師に会うと「昔は漁や鹿児島への途中で世話になった」とか言われることから、現代でも規模や頻度は変われどもその役割は変わっていない。近年では、昭和8年と41年に火山が爆発。かつては硫黄鉱業やガジュツ生産(胃薬「恵命我神散」原料)も行われており、林業では今も残っている製紙会社の社有地を中心に木材生産や漁業ではカツオ漁も盛んで、畜産業では鹿児島などから肉用として買い付けに来るほか徳之島の闘牛用に買いにくる人もいて、当時は「あの山にいる牛、全部で○○円」といった売り方をしていたそうで、牛の積み込みなども今のような立派な港もなかったため、「牛を海に落として泳がせて船に積み込んだ」そうである。</span></p>
<h4><span style="font-size: small;">5. 産業</span></h4>
<p><span style="font-size: x-small;">基幹産業は運送業・畜産業・漁業・民宿などで、他には主に役場、郵便局、農協、発電所、電話・水道・道路伐採などの「公共」の仕事がほとんどです。お店はAコープ(JA)出張所と酒屋、商店などが3件あるほか、ガソリンスタンドが1件あるぐらいで、飲食店やパチンコやスナックもなく、日曜は全ての店が閉まる。また、島内に公共交通機関はなく、移動手段は自家用の車（軽トラ）とバイクがほとんど。役場の小さな出張所に職員が1人いるだけで、町の議員もいないため、国や鹿児島県だけでなく、屋久島町の情報も届きにくく、ADSLや光ファーバーなどの情報インフラも整っていないため、島民の想いや意見はなかなか外部に伝わりにくい環境にあります。そんなに不便で小さな何もない島ですが、地元の若者を中心に15名が自らのを私財を投じることで島民の協力を得て、行政や農協の助成金もなしに平成20年4月に口永良部島活性事業組合をつくりました。目的は、焼酎原料の甘藷：芋の生産を初めてとして、将来は畜産業や観光業などの島のあらゆる仕事を担うことです。組合員は「若者が働ける場所をつくりたい」「家族で移住できる家を用意したい」「行政に頼らずに自分たちでできることをやりたい」などそれぞれの想いを持って、「口永良部島に仕事をつくる」ための活動を開始しています。平成20年度は組合員のほとんどが農業の経験が少ないだけでなく、永年放置されていた耕作放棄地を利用していることなどから、当初の計画通りの収量があがりませんでした。しかしながら、平成21年度は初年度の経験を活かしてよりいっそうの強い想いのもとに取り組んでいます。彼らの熱い想いと行動力は、今までは遠巻きに見ていた島民の雰囲気を少しずつではありますが、変えつつあると考えています。</span></p>]]>
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